【書評】堤未果著『貧因大国アメリカ』(岩波新書)

東洋大学名誉教授 岡本 磐男

<メディアネット世界の眼>ちきゅう座より転載

 アメリカは、近代ヨーロッパ思想を受け入れて成立しているイデオロギー国家である。ブッシュ大統領も、つね日頃自国が自由と民主主義の国家であることを誇示しているし、もし、世界の何れかの国で人権侵害が起きたりすれば、つねにこれを厳しく糾弾する姿勢をあらわにする。アメリカの社会で伝統的に受け継がれてきた思想の淵源は、建国以来この国では独立自営業者から成立つ社会を理想社会として追求してきたことに求められると考えうるが、その問題についてはここでは立ち入らない。ここではこの国がよって立つ近代的な明るい思想が、多数の国民の窮乏化によって形骸化し、単に建て前にすぎなくなっている点を指摘するにとどめたい。

 その点は、アメリカの新自由主義政策によって生み出された格差構造と貧困の惨状に鋭いメスを入れた、堤氏による本書を一読すれば、いっそうその思いを深くする。因みに著者は、ニューヨーク市立大大学院(修士)を修了し、その後9.11テロに遭遇した経験をもつ気鋭のジャーナリストである。

 本書は次の5章から構成される。
 第1章 貧困が生み出す肥満国民
 第2章 民営化による国内難民と自由化による経済難民
 第3章 一度の病気で貧困層に転落する人々
 第4章 出口をふさがれる若者たち
 第5章 世界中のワーキングプアが支える「民営化された戦争」

 第1章では、レーガン政権のさいに市場原理主義政策が採用されたが、その結果その後は国内の所得格差が拡大し、中間層が消滅し「下層に転落した人々が社会の底辺から這い上がれないという仕組み」が作り出されたと論ずる。そしてとくにブッシュ政権下においては貧困家庭が増えるに伴って貧困児童(18%)が増え、貧困児童は無料一割引給食を受けるが、この給食にはカロリーは高いが栄養価の低い食品が使われるため貧困児童には肥満児となる児童が増え、裕福な地域における子供との格差が生じていると指摘している。また、不健康な肥満は子供だけでなく成人の間でも深刻化しており、とくにワーキングプアに近い貧困者にはフードスタンプが受給できる(全米で2006年度には約2600万人に上る)が、これらの人達も肥満者となると述べる等して、最近のアメリカの飢餓人口がかなり増大している(2005年には3500万人)点に着目している。

 第2章では、著者は、2005年8月に米・メキシコ湾岸を襲ったハリケーン・カトリーナは、死者1000人以上に及ぶ程の被害を発生させ、とくに市の80%が水没したといわれるニューオーリンズ市では数10万人の被害者を出したのであるが、このハリケーンによる甚大な被害は決して自然災害と呼びうるそれではなく、かつては政府の災害対策機関であった連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency - FEMA)がブッシュ政権のもとで、折からの政府機関の民営化の流れに沿って民営化されたことによって、安全対策が遅れたことによって生じた人災であったという点を詳細に分析している。国内難民と化した被災者達は就職もできず、貯えも底をつき、全く窮乏化した状態にあるという。

 またニューオーリンズ市のような貧困地帯では学校の民営化も進められているが、民営化された学校は学力水準が低下する傾向にあり富裕地域との間で教育格差が生じるという問題がある。さらに2005年のアメリカ世帯人口統計は、アメリカに住む移民人口が3570万人(12.4%)に達することを明らかにしたが、増え続けるヒスパニック系移民にせよアフリカ系移民にせよ、あるいはアジア系移民にせよ、総じて移民は、白人との間での経済的自由競争においては不利な立場におかれ格差が縮小することはない、と説く。

 第3章では新自由主義の風潮が強まるにつれ、アメリカでは公的医療の制度が縮小し国民の多くは民間の医療保険に入るようになったが、民間の医療保険負担額はきわめて巨額であるため、一たん病気に罹ると借金をしたり自己破産したりする人が多くなるという悲惨な状況が論じられている。また出産の場合ですら高額の負担が妊婦に強いられるという。医療費の高騰に苦しむのは患者ばかりでなく、医師たちもこれによって競争による効率主義に追いつめられているという。もっとも低所得者層の人達は公的医療の支援に頼ることができるが、やはり高すぎる医療費と保険会社が支配する医療システムの中で、連邦政府と州政府の両方の予算を圧迫し、大きな問題となっていると論ずる。何れにせよ今日のアメリカの医療制度は複雑で深刻な問題を抱えているようであるが、著者はその点をできるだけ分かり易く解説することに努めている。

 第4章では、新自由主義政策が展開されることによってブッシュ政権下では、高校生や大学生の若者達が経済的にも苦境に陥るよう強いられていることが描かれる。
 
 まず高校生の場合、全米の全ての高校は生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出することが要請され、米軍は膨大な高校生のリストの中から、経済力のない貧困な親の子供に対して軍に入隊するよう勧誘するという。貧困な家庭の子供は、軍に入隊すれば、大学の学費を負担して貰えるとか、兵士用の医療保険に入れる等の有利な条件もあるので、つい入隊を希望する高校生も少なくないという。すなわち、アメリカではワーキングプアの子供達が戦争にいくのは、この国のためでも正義のためでもなく、ブッシュ政権下の弱者切捨て政策によって生存権をおびやかされ、金のためにやむなく行くのだと述べる。そしてリクルートされてイラクのような戦場に赴く新兵たちには予想されなかったような過酷な運命が待ちかまえている点に言及される。

 次に大学生の場合であるが、アメリカの大学生は学費を学資ローンによって払う傾向が強いが、ブッシュ政権下の民営化政策によって学資ローンの貸出機関が政府機関から私的金融機関に移る傾向が強まり、また大学の授業料も高騰する傾向があるため、大学生の学資ローンの申請者が急増するようになったという。折角学資ローンを借りて大学を卒業しても就職先の企業の賃金は年々低くなっているので今度は学資ローンの返済が若者に過重な負担になるという。また大学生は単に学資ローンのみならず、クレジットカードによる借入れを行っている者も多いという。例えば高等教育政策機構のデータによると、全体の学生の33%が学資ローンの受給者であると同時にクレジットカード返済滞納者であると明言されている。そして大学生は卒業時に借金額があまりに多いと企業への就職が困難となるため、その意味でも苦境に立たされると指摘される。

 第5章では、イラク戦争のような戦争は米軍のみによって戦われているのでなく、多くの貧困な民間人が動員されて戦いに参加させられている点が論じられる。それは、戦争には例えば食糧や武器の輸送とか、倉庫内の作業員、電気技師やトラックの運転手の仕事等が必要となるが、これらの仕事は民間人によって担われている。民間人を戦争に参加させるための採用を斡旋する企業も多数存在していて、これらの企業は借金を抱えていたり、フルタイムで労働していても極度の低賃金で働いているワーキングプア、または中流階級であったにも拘わらず突然の失業や入院などで貧困層に転落した人々を狙いうちして若干の高賃金を約束してイラクに派遣している。しかも派遣される貧困層はアメリカ人に限られるわけでもなく、フィリピン、中国、バングラディッシュ、インド、ネパール等々の国々の貧困層も少しでも高い賃金を求めている人々は対象となる。けれどもこれらの派遣によってイラク戦争に参加させられる人々は、多くの場合、より過酷な情況に貶められていると論ずる。

 本書を一読すると、ブッシュ政権下のアメリカが、建て前としては自由と民主主義の旗を掲げながらも、冒頭でも述べたようにいかに人権を尊重しない国になってしまったかを知ることができ一驚する。著者は豊富な資料を基礎としつつ明快で説得力のある文章で現今のアメリカ社会における貧困問題を摘出している点はきわめて興味深い。

 本書の最後には「エピローグ」が書かれており、これがまた人を惹きつける文章なので、そのうち若干の文章を引用することにより本稿を締めくくりたいと思う。

 ここではアメリカ社会における貧困は全世界に広まっていることを主張する。そしてまずアメリカ発のグローバルビジネスの宣伝文句につられて消費を増やすようなことはやめるべきだという。

 貧困救済のNPOの一創設者は、「私たち市民の側も、自分たちの貧困や労働情況について[かつては]自国の政府だけを相手に対立していればよかったのです。でも今や世界中で搾取が行われ。その中でキー・プレイヤーの顔も、一国の政府から、国境を超越した大企業にいつの間にか変わっているのです」という。またイギリスのジャーナリストは、環境問題に触れて、これを解決するのは人間の倫理感であるとし、「地球市民として、日々の自らの行動が世界全体にもたらす結果に責任をもつという倫理感が、一人の小さな行動を大きな力に変え、健全な地球環境をとり戻す一番の近道なのだ」とする論を載せている。

 イラク戦争に戻ると、「貧困から抜け出そうと入隊し、イラク戦争から帰還した後、反戦の会を立ち上げた若い兵士たちとその母親は、生存権と引きかえに戦争が選択肢になるという絶望的なシステムから子どもたちを守る最大の戦略は、無関心な世論を変えていくことだ」という。

 2004年に「市民社会協会」がインターネット上にたち上げたあるサイトでは、「世界が様変わりしている認識を、経済、科学、社会システム、安全保障などさまざまな面から人々に伝えることを目的としており、今各国で起きている出来事がもはや一国内にとどまらず世界中で同時に起きていることを警告している」という。

 最後に、以上のような数々の事例が、アメリカ一国の話でないとしたら、ここ日本の情況とは一体どう重なるのだろうと問い、日本について観察する。「『規制緩和』『民営化』『自己責任』などのキーワードと共に加速していった流れの中で、日本の中間層にいた人々は過労死やリストラの犠牲となり、『ワーキングプア』『ネットカフェ難民』『医療制度の崩壊』『派遣社員』『教育格差』などの言葉がメディアにあふれるようになった。」「日本も小泉、安倍内閣の下で民営化が進められ」種々の政府機関が民営化されたが、「『役所がひどいから民営化』という安易な考えは危険である」と指摘し、「アメリカの後を追った結果、日本の中間層は貧困層に転がり落ち、格差は急激に拡大しつつあり、さらにこの先『教育格差』が進めば、国内は一部のエリートとスペシャリスト、低賃金労働者という3層に分かれ、この所得格差は強固に固定化されていくだろう。」と結論する。

 鋭い現実感覚に裏うちされたこうした現状認識に対しては評者も全く共感することを申しそえて、本稿を閉じることにしたい。

2008.9.11