信用膨張と恐慌

的場昭弘 神奈川大学教授 リヨン在住

<メディアネット世界の眼>ちきゅう座より転載

不動産バブルに踊った銀行は今のところおよそ100兆円ほどの負債を抱えている。これが株価の上昇を抑え、それが債務の返還をさらに遅らせる。もちろんその負債が実際の信用に与える影響はその何倍にもなるであろう。それゆえ、国家はこれらの銀行の破綻を避けねばならない。国有化、合併、資本注入などの処置によって、とりあえず信用破綻を回避する必要がある。これは日本のバブル後の処置と同じであろう。
皮肉にもこの危機で行き場を失った資金が、石油や食糧に流れ、それが後進諸国の経済を直撃し、賃金騰貴をもたらし、結果として先進国のインフレそして賃金騰貴への圧力をもたらし、経済成長を引き下げる。最終的に負債を埋めるべき資金回収は遅れざるをえない。しかもアメリカを中心に展開したアフガニスタンやイラクへの軍事支出も重くのしかかる。これもグローバル資本主義に反抗する諸国への資本の攻撃のひとつなのだが、結果的に大きな国家支出をともなった。
いずれの問題も最終的な落ち着きどころは、最後の切り札、絶対的な収入源、税金しかない。とはいえ税金も国債として膨大な信用拡大をしているわけで、破綻の可能性はある。前門の狼、後門の虎。今回は理論的な点で考えてみよう。

信用拡大の原理

ここまで肥大化した問題は、信用膨張のメカニズムにある。単純にいえば、日本のバブル時代にあったようなモデル、すなわちやがて不動産価格が上昇することを前提にして借金をする、それを売って借金を返すというモデル。不動産が上昇していく間は可能であるが、最後には破綻する。サブプライム(すなわちもっとも信用力のない信用)が、価格上昇というバブルの中で拡大した理由はまさにここにある。担保を持たないものに信用を与えることほど信用を拡大するものはない。しかし、実際信用メカニズムとは本来担保を必要としないメカニズムでもある。中央銀行がごくわずかな準備金で巨大な信用貨幣を発行していることはまさにそうである。その過程を『資本論』を使って分析してみよう。
『資本論』第三巻、29章「利子と企業者利得への利潤の分割。利子生み資本の(続編)」はこの信用メカニズムを説明している。まずマルクスは銀行資本の構成について語る。銀行資本は(1)現金、(2)有価証券からなる。有価証券はさらに商業証券、手形という短期物(すぐに満期となるもの)と公的な証券(国債、国庫証券、株式、不動産証券など)とに分かれる。
もちろんこれらの総額はすでに信用拡大しており、実際銀行が持っている本来の担保資産は、預金(他人資本)、自己の株式発行で得た資本(自己資本)である。しかしこれは準備金のようなもので、重要なものは、前者の現金と有価証券である。これを使ってどう儲けるか、現在ではフロント・オフイスといわれている投資部門が問題になる。預金業務を担当するバック・オフイスにマルクスは言及しない。
まずマルクスは有価証券の中でも国債に注目する。それは貨幣資本、すなわち利子生み資本の典型とも言えるからである。なぜか。国債は企業への投資とは違って、最初から生産資本形成に投資されない。つまり利潤を生まない橋や道路に投資される。空の資本に投資される。しかしそれでも債権である以上、利子を生む。利子を生まなければ誰も国債を買わない。なぜ利子を生むのかと言えば、それは税金という配当金が背後にあるからである。
ここに利子生み資本の本質が典型的に出ているとマルクスは述べる。すなわち、貨幣資本は直接利潤を生むところに投資しなくてもいい。利子を生みさえすれば何にでも投資できるという原理。こう語る。「ここで資本の現実の価値増殖過程との関連は、徹底的に消え失せていて、自己自身に酔って自己を増殖する自動装置としての資本の観念が完成している」(『資本論』第七巻、岩波文庫、222ページ)と。生産から乖離した貨幣資本の自己増殖の典型は国債にあるというわけだ。ある意味、これこそ現代の金融資本主義のメカニズムの原型ともいえるものである。
これは重要な表現だ。投資対象は何だっていい。まず利子がどんな形であろうとそれがあることが保証されるだけでいい。砂漠の土地であろうと何であろうと。利子を払ってくれるものがいればそれでいい。もちろん国債にしても利子を払うのは、実際に働いている納税者なのであるが、それはここではまったく見えない。かってに資本が価値増殖するように見える。
同じことは生産資本に投資される株式資本などについてもいえる。マルクスは幻想的な性格をもつという表現をするのだが、自分の買っている株がどんなものに投資されているかなど真面目に考えるものはいない。なぜか、それはすでに最初に発行され、生産に固定された優先株の資本とはその株が全く違うものだからである。所有名義が変わっている。株価の上昇で高配当を狙って株を買っているだけ。だからすでにその株の価値は「一部は投機的である」。予想される収益、会社の営業成績を当てにして、買っている。
さて銀行に預けられた銀行に本来ある資金、預金や投下資本はすでに有価証券に化けている。これら有価証券は生産に対する、すなわち労働に対する利潤の上前をはねる権利であるが、実際には、その価値額は銀行に本来ある預金や資本の何倍にも膨れ上がっている。つまり、有価証券の値上がりによって、その価値は実態の何倍かになっている。マルクスは「貨幣資本」の多くの部分はまったく架空であると述べる。
エンゲルスはこの部分に非常にうまい注釈を入れている。さすが実業界の人物。こうした資本の拡大は今では一般化しているというわけだ。なぜかといえば、株式の場合、つまり直接生産資本に投資され、配当権を要求する優先株だけでなく、その後どんどん発行される後受株といった投機株がどんどん増えている。利益を目当てに来る人々をそれが引き受ける。
こうした原理をマルクスはスミスの非常に単純な例から引用している。これは景気は流通手段の量によって決まるとい考える通貨学派を批判する根拠にもなるものだが、商業手形の信用メカニズムにすべての信用の謎が隠されているというのだ。商業手形のメカニズムとは、要するにAがBに1000円を貸し、BがCから商品を買う。Cは当座現金はいらないので、それをDに貸す。DはやはりEから商品を買う。もちろんEもCと同じことを行う。これはどんどん連鎖的に増えていく。こうして1000円というお金がどんどん商品購入に役立つ。この連鎖に何にも起こらなければ、うまく回転する。こうして少量の資本で大量の取引(取り引きされる額は膨大)が可能となる。実際上は架空のお金が動いているのだが、それでうまくいく。
しかし、この信用の過程だけを見るとどうやって利子や利潤が生まれるのかという実態は見えない。利子生み資本を貸しつけるものは、それが誰をどう搾取しているかなどは考えない。いつのまにか利子が入る。そこでマルクスはこう表現する。もはやそこで見えるのは搾取ではない。むしろ賭博であると(前掲書、240ページ)。搾取ではなく賭博。なるほどカジノにおいて誰かが搾取されていると考える者はいない。運の悪さで不遇をかこつ。急激な現金需要が起きない限り、10倍、100倍と肥大化した貨幣資本はあくなき利子を求めつつさ迷う。しかし利子率が高くなり、現金需要がひっ迫すると、途端に現金需要が高まる。株価は下がる。下がれば信用は萎む。
二束三文でそれを売る時は恐慌だが、恐慌のいいところは、こうやって信用の幻想が萎むことで実態が理解でき、チャラで再出発ができることだ。しかし、それがないと、さらに再度バブルが始まり、どんどんその規模は大きくなっていく。巨大なバブルがいつかすべてを飲み込むブラックホールのように拡大していく(不動産バブル以後の世界はまさにこうした側面にいるようである)。今回銀行が現金に対する需要ひっ迫で倒産しなかったのは、擬制的資本、幻想的資本の最大の切り札、国家資金のおかげであったといえる。イギリスのノーザン・ロック銀行の国有化、ベア・スティアンズの国家誘導による合併など。国家は税金という現金を持っている。だから国有化であろうか、資金注入であろうが、合併策であろうが、国家の現金が信用を裏書きする。こうやってバブルは爆発することなく、さらなる信用拡大を生む。そこに注がれた労働者の巨額の税金は、まさに貨幣資本家の利子となって再度バブルを演出する。要するに国家を食い物にする。もちろん国家も国債という有価証券で将来の租税を当てにしながら、どんどん信用を拡大する。日本一国で、地方債を含めると600−800兆円の債券が発行され、アメリカ、ヨーロッパもそれを追っている。いつこのつけを支払うか。問題は先送りされる。やがて起るビッグバンを恐れながら。
当面この焦げ付きを、どこで搾取するか。石油と食糧に投機することで?、後進国の人々、そして労働者を搾取することで?、若い世代を搾取することで?、公債のさらなる発行でさらなる未来の若者を搾取することで?

恐慌

忘れてしまったこと。それは恐慌である。資本主義は恐慌を克服した?なるほど信用連鎖崩壊を防ぐ国家信用の機能で先送りはされる。しかし、眼を開いて信用膨張の実態を見るとそうとも言っていられない。後門の虎、すなわち後進国の労働者の低賃金が上昇するとすればどうなるか。
「資本主義は安泰である。こうした議論は考えすぎだ。不動産バブルも、穀物暴動も、石油価格高騰も時期収まる。景気は回復に向かっている」。新聞はこう書きたてる。マルクスはこう語る。「それゆえクラッシュの直前にこそ、営業はまったく健全に見えるのがつねである。その最良の証明は1857年と1858年の『銀行条例報告書』である。そこですべての銀行の重役や商人、要するにオーバーストーン卿を中心とする喚問を受けたすべての専門家は、お互いの事業の繁栄と健全さを祝いあっていたのである」(前掲書、250ページ)。1857年8月に恐慌が勃発する。これはそのわずか一か月前7月の出来事なのだ。
マルクスはもちろん、資本家たちがポーカフェ―スで偽装し、真実を隠したと言っているのではない。信用システムが複雑すぎて、誰にもことの本質が理解できなかったことを指摘しているわけなのだ。それは今の我々と同じで、経済評論家そして私も含めて経済学者でさえ真実を誰も知らないというのが真実ではなかろうか。
『資本論』第三巻の30章から32章にかけて、「貨幣資本と現実資本」というまことに今の問題にとって重要な、架空資本と現実資本との落差、そして恐慌の話がつづられている。
マルクスはまず商業信用を問題にする。商業信用とは手形決済のことだが、銀行を媒介にしない決済である。半年後に支払うということで手形を発行する。そしてそれと商品を交換した売り手は、その手形をどこかで割引いてもらう。割引けば損だが、資金が欲しい以上は割引くしかない。やがて手形割引をする商人は銀行となる。そこに銀行信用が生まれる。銀行信用とは取引相手が銀行口座をもつことで、取引は銀行で決済される。預金という裏書がある部分が強いが、そこから信用が拡大する。ことが問題なく進めばいいが、ここで誰かが大きな額を払えなくなるとすればどうなるか。そうなると信用連鎖は崩壊する。つまり現金需要がひっ迫する。マルクスの時代、もちろん現金は金であり、信用貨幣ではないのだが、IMF体制下の信用貨幣でも今のドルのように価値下落すれば、当然ドルよりも金ということになるわけだ。だから金価格は上昇している。
もちろんこれを避ける方法はある。誰かが商品を大量消費すればいいわけである。まず奢侈階級、それがだめなら国家というわけである。これが有効需要。国家が事業を始めればいい。
エンゲルスはやはりマルクスより長生きしたことで、このことをまず理解していた。注でこう書いている。「最近の全般的大恐慌以来、変化があった。従来10年周期で起こっていた過程が、相対的に短くなり、弱い景気好転と相対的に長く不安定な不況との、より慢性的でより長く、そして先送りされる、国によって時期を異にする恐慌に変わったようだーーーわれわれはいまだかつてない激烈さをもつ一つの新しい世界恐慌の準備期間にいるのだろうか」(前掲書、257ページ)。
なるほど、恐慌にはタイムラグがあるし、慢性化することで先送りできる。日本のバブルの後続いた10年にわたる時期、空白の時期ともいわれるこの時期は、エンゲルス的にいえば、まさに先伸ばしされた長期にわたる不況。爆発エネルギーを避け、小出しにガス抜きをした時代ともいえる。不気味なのは、それが貯まっていって、いつか激烈なものが起こるのではないか。エンゲルスの予告はまさに1929年大恐慌であり、的中したともいえるわけだが、この問題は今もはずれてはいない。天災と恐慌は忘れた頃にやってくる。

2008.8.13