老年医学への期待

医師 後藤 重彌(ごとう じゅうや)

私は、1921年3月の生まれであるから、90歳をやや超えたことになる。生地は大分と宮崎の県境に近い佐伯市であるが、親父は大分へ出て眼科の病院を開いた。昔はトラコーマなどが流行ったので病院は繁盛したが、大分が戦災で全滅し病院も焼かれてしまった。
 当時、私は軍医として台湾にいて助かったのだが、軍医としては南方へ行くか満州へ行くかしか選択肢がなかった。しかし既に船がなくて動けなかったことが、奇しくも命拾いに繋がったのである。
 戦後、私は東大の第三内科に戻るのであるが、その頃の東大の内科は第一から第五まであった。東大ではやがて消化器科、循環器科、呼吸器科など専門科へ分科して、表向き「内科」という呼称がなくなってしまったが、今もって「第三内科同窓会」というように、我々の中で「内科」の呼称は健在である。
 それにつけ思うことは、昨今の医師が狭い専門科領域しか扱わなくなった問題である。例えば「小児科」ならごまんとあって大体のことは間に合うのだが、我が世代に必要な
「老人科」という診療科はどこを探してもない。世はまさに高齢化社会で老年病学への関心も需要も旺盛なのに、現実の医療面はお寒い限りである。
 そのような中で今年は6月15日に「第27回日本老年学会総会」、続いて16,17日の2日間に亘り「第53回日本老年医学会学術総会」が京王プラザホテルで開催されたので、それに関して些か所感を述べてみたい。

●「活力ある長寿社会」を巡って
 今年の「老年学会総会」のメインテーマは「活力ある長寿社会を目ざして」というものであった。所属する七つの学会(日本老年医学会、日本老年社会科学会、日本基礎老化学会、日本老年歯科医学会、日本老年精神医学会、日本ケアマネジメント学会、日本老年看護学会)の特別講演や沢山のパネルディスカッションが準備された。
 各学会は自らの専門領域を掘り下げる一方、他領域とも連携しており、例えば歯学会が歯磨きを奨励するのは虫歯予防のためばかりでなく、肺炎を防ぐのに有効だからである。老人は口に残って腐敗した食ベ粕を誤嚥して肺炎になることが多いのであるから、食後は先ず歯を磨き、うがいだけでもすることが望ましい。
 このように老齢者に焦点を合わせたとき、他科との関係性が重要になる。また、年寄りが足腰の痛みを訴えるのは今も昔も同じだが、最近のように脊柱管狭窄症などが増えてくると、一般の整形外科では対処し切れない。
 こうした事例が多発して深刻度を増していることを反映してか、今回の学術総会では五つのテーマが掲げられ、いずれも目を瞠る多彩なプログラムが準備された。
 以下、そのテーマを辿りながら、我が思いの一端を述べてみよう。

(1)百歳社会の構造と設計
 日本人を働き盛りの壮年層と老年層に二分すると、25〜54歳の30年間が壮年期、
55〜84歳の30年間が老年期ということになるそうである。
 実際には60代で定年を迎え、75歳で後期高齢者の仲間入りをするのだが、75歳までは国民の2分の1が健康なのであるから、私はせめてその歳までは大いに働けるようにしてほしい。浴びるほど貰う薬よりも働ける環境こそが、高齢者の活力源になると思うからである。

(2)老いることの豊かさ 医療と仏教
 人間の定めとされる「生老病死」について、花園大学の佐々木閑さんの特別講演があった。老いること自体が豊かさの実体であり、仏教に依れば死が恐ろしいものではなくなるというのである。

(3)健康長寿社会と老年症候群
 この学術総会では「老年症候群」という言葉が使われている。年齢的な衰えの他、40代から始まった生活習慣病の慢性病化をはじめ、極端な運動不足による廃用症候群に加えて、認知症(鬱と譫妄)、転倒骨折、低栄養(栄養障害)、誤嚥(肺炎)などがその内容となる。
 特に気になるのは認知症だが、それを予防するには何事にも好奇心を持ち、心の赴くままに積極的に行動することに尽きるであろう。

(4)終末期医療
 老年医学という考え方が生まれたのは昭和40年頃であったろうか。東大第三内科の古川政巳教授が「老年学科」を創設したのが端緒である。わが国の60校余りの医科系大学で老年病学の教授を擁するのは20校足らずであるから、まだまだ遅れている感が否めないが、今回の学術総会で「長寿社会における老年医学の役割」という課題を大上段に掲げたことには驚かされるものがあった。
 今まさに老人科専門医の誕生が待たれる大事な時を迎えたのであるが、私のように「老人歴」の長い者に言わしめれば、60歳未満の医師では高齢患者の心身を適格に見抜けないように思えてならない。実際に私の70歳になる後輩が膵臓ガンになったとき、然る権威の見立てに従って手術をしてもらい、彼の言によれば「手術には成功した」のであるが、私の言うところの「復元力」が働かなかったため、術後3ヶ月で帰らぬ人となった。「角を矯めて牛を殺す」ではないが、如何に権威であろうとよほど年齢を重ねないと、高齢患者の特殊性がわからないのではなかろうか。

(5)血管系疾患、ガン
 私もここ2年ほどCT画像では直腸の辺りに塊が見え、血液検査でも消化器ガンと前立腺ガンの反応が出ているが、「飛び歩いていれば良いんじゃないですか」「その通りですよ」といった会話を主治医と交わしながら、元気いっぱいに過ごしている。時に出血もあるが、貧血したら鉄剤を補いながら見守るというのも、年寄り向きの治療と考えてよいであろう。 要は患者の「復元力・回復力」であるが、最近は「長寿遺伝子」の存在と働きが相当なレベルまでわかってきたそうである。摂取カロリーを30%制限したサルは、満腹のサルよりも長寿遺伝子がよく働くこともわかり、その遺伝子を活性化する食事法も見つかり始めているという。
 また脳の働きも、時とともに衰えるばかりではない。11年前に脳梗塞で言語と運動機能を失い痴呆状態になりながら、今では表情も変わり片言が喋れるようになった症例を、私は身近に体験している。ケアの仕方次第で、脳細胞も活性化するのである。近い将来には再生医療の進展とともに、長寿社会に大変化が訪れるであろう。

●90歳の呟き 
 「老年学会総会」の会場で、私は「パラダイム・シフト」と題された一枚の刷り物を貰った。「21世紀の医療のための価値規範の変化」を箇条書きしたもので、先ず「治すから支えるへ(CureからCareへ)」という字句が目に飛び込んできた。
 病気だからといって、医者の出す薬を全部飲んでいたら大変なことである。肝心なことはどの薬が一番大事なのかを教えてくれる医者に出会うことで、その上で回復力のない老人のケアを、本気で考えてくれる医者でなくてはならない。
 「長寿から天寿へ」という字句も見える。ベットで管に繋がれ「スパゲッティ症候群」の状態で延命することへの反省であろう。伊達政宗が「馬上少年」の詩で「残躯天の赦す所」と謳っているが、老いてなお「天に赦された時間」を存分に味わってこその人生ではあるまいか。
 「根治から緩和へ」と書かれた字句からは、私は昔か言われている「年をとったら風邪引くな、転ぶな、夜の通夜に行くな、義理を欠け」が頭を掠める。高齢者は用心深く、無理せず、病んだら病気と共に生きたいものである。その点で最近は痛みの治療が進んだので、緩和医療に新天地が開かれた観がある。
 人は皆、末期の迎え方が難しい。ポックリを願う人もいれば、だんだん弱りながらスーッと消えていくことを願う人もいる。悩む間もなく肺炎や心臓病でプツンと切れたりもする。死を敵に回して「死は医学の敗北だ」と言い続けてきた医学界であるが、その呪縛から解かれ始めている気配を歓迎したい思いである。
 私は今、90歳の暮れに亡くなった母の死に方が思い出されてならない。その秋口まで独り住まいで頑張り、やっと上京して私たちと同居したあとも散歩を楽しみ健啖ぶりを発揮していた母であったが、急に「今年の冬は越せそうにない」と言い出したのである。そして食も細り、好きだった短歌も創らなくなり、離れて暮らす娘へ電話ばかりかけるうちに、3日ほど床に就いた。その日、私が点滴をすると母は汗をかいたあと、「もういいよ」と小声で言って大きく息を吐いた。そして診ていた脈がポン、ポン、ポーンと打って、止まった。願わくば私も倣いたい最期であった。
 手にしたパラダイム・シフトの刷り物には「病院から地域へ」とも書かれている。どこで死ぬべきかであるが、遣り繰りに忙しい病院側に立ってみれば、もう死を待つしかない老人をいつまでも置いておけないという事情もある。50代の患者を急性期医療によって働ける身体に戻すことと、80を超えた老人の面倒をみる医療は、分けて考えるしかない。だから病院医療の外側に在宅医療を置くことも、それはそれでよいのではなかろうか。病院経営を東京型と大阪型に分けるとすれば、儲けを勘定に入れた大阪型の経営センスが大事になったのも致し方ないのであろう。
しかしその一方で、この刷り物には「臓器から人間へ」という字句も躍っている。老人医療の面で考えれば、先ほどの伊達政宗ではないが、「残躯」を「壊れた臓器の集合」と見ないで、天に赦された余命を味わい尽くすべき人間として扱ってほしいものである。
 言い換えればこの命題は、データを重んじて鍵と鍵穴をピタリと合わせようとする「EBM」(Evidence−based medicine 根拠に基づく医療)よりも、患者のQOL(Quality of Life 生活の質)を重視する医療が実現することへの願望を表わしていると見るべきであろう。
 さて、人は90歳にならずとも、80歳を過ぎれば恒常性維持機能が落ちるのが常である。気持ちよく寝覚めを迎えて「よし、やろう」と身構えても、活躍できるステージの幅がものすごく狭いことに気づかされる。無理を押せば、今度は復元力がないことを思い知らされる。「ここまででストップ」という信号が、年とともに来なくなるのである。うっかりすれば、そのままということも大いにあり得るであろう。
 老衰というのは、人間に具わったこの復元力が限りなくゼロに近づくことなのだ。私の尊敬する老人医療の権威たちも、一人ならず「老衰とは恒常性維持機能がゼロになること」と明言しているほどである。
 従って老境に入ったら壮年期と異なり、一日を朝昼晩と細かく分け、それぞれを上手く繋げて気力を持続するようにしなければ、忽ち明日をも知れない事態に立ち至ることを覚悟しなくてはならない。
 その上で精神のレベルもしっかり維持すべきで、私はレオナルド・ダ・ビンチの「知識は精神を若返らせる」、貝原益軒の「心を静かにし、身は忙しくするをよしとする」という言葉を座右の銘としている。
 老年期は心が揺れやすく落ち込むことも多いので、その面でも「復元力」を保つ心がけが求められるのである。 (平成23年8月12日)

 略歴:1921年3月大分に生まれる。昭和19年東大医卒(旧制福高卒)、陸軍軍医大尉にて台湾より帰国。東大病院第3内科(冲中)を経て東邦大学内科助教授。朝日生命診療所長、財団朝日生命成人病研究所役員。定年後産業医活動、老年病学会会員。

2011.10